今語らないと
通算安打記録保持者
野球解説者 張本勲さん

1940年6月19日
広島市生まれ、68歳
韓国名・張勲
(チャン・フン)

4歳で右手火傷
5歳の時広島で被爆
浪商から59年東映入団
23年間プロ野球最多の
3085安打を放つ
通算打率3割1分9厘
本塁打504本
90年野球殿堂入り

しんぶん赤旗
08年11月16日号
大要紹介します

話さなかった被爆体験

3085本の通算安打
この金字塔を打ち立てた
張本勲さんは今、
被爆体験を伝えることを
ライフワークとしています。

以前、私は自分の
被爆体験を誰にも話した
事はなかったんですよ。

でも「これはいかん」と
思う事がありまして。

テレビで若者が
「戦争なんて僕らに
関係ない」と話すのを
聞いてぞっとしましてね

経験を語って、若者に
わかってもらう事が
必要ではないかと。

5歳で被爆

1945年8月6日、5歳の
私が玄関を出た瞬間。
ピカッと光って
ドーンときた。

家は広島市の爆心地から
2キロほどの所でした。

避難したブドウ畑は
地獄絵そのものでした。

やけどを負った人が
転がり、うめき声がする
気がふれたように
走り回って
川に入っていって
死んでいく人・・・・・

消えない痛恨の思い

6歳上の姉は
勤労奉仕先で被爆
担架で運ばれて
きた時には全身ケロイド

優しくて背が高く色白の
姉は「勲ちゃんは
ええのう。綺麗な
お姉さんがおって」と
よく言われ、自慢でも
ありましたよ。

それがあんな姿に
なってしまった。
かすれた声で「のどが
渇いた」というので、
急いでブドウを口の中に
入れてあげました。

「勲ちゃんありがとう」
と言ってくれてね・・・。

母は、姉のそばで
一晩中ないていました。
自分の胸を
たたきながら。

翌日、姉は息を
ひきとりました。

大切な姉を
原爆にとられた・・・・。

この痛恨の思いは
未だに消えないのですよ

■練習でカバー指の火傷