張本さんの右手は
小指がなく、 中指は半分、 薬指も3分の1ほど しかありません。 親指と人差し指は、 内側に曲がったままです 4歳で負った 火傷が原因です。 指のハンディを克服し 前人未到の記録を 打ち立てました。
私の両親は1940年
韓国から広島に 移り住みました。 長屋の生活は貧しくて、 6畳一間の トタン屋根でした。 私がプロ野球の選手を 目指したのは 苦労している母を 二階建ての家に住まわ せてあげたい・・・・・ 自分も腹いっぱい 食べたい・・・・ そんな思いからでね。
近所に柱を立て
タイヤをくくりつけて バットでたたいて 打撃の練習をする。 近所の人は 「また勲ちゃんの 餅つきが始まった」 と言っていたそうです。 東映に入った時、まず コーチに言われたのは 「右手が弱いのは 致命的だ」と いう事でした。 バットを握るには中指、 薬指、小指の三本が 特に重要です。 これでバットを固定する しかし、私にはそれが それが難しかったのです
特訓が始まりました。
毎日、コーチに トスしてもらい、 右手1本で打ち返す。 1日500本 手が上がらず 歯も磨けない するとコーチは 「そうか痛いか。 それは弱いから 痛いんだ」と、 また練習ですよ。 続けているうちに 痛みも消えて、 次第に右手に 力がついていった。 強い打球も 打てるようになって 結果もついてくる。 すると自分でも 楽しくて余計練習する。 その繰返しでした。
ただ守備は困った。
■見せなかった右手右手のグラブの扱いが うまくいかず・・・・。 特にゴロが苦手で、 地方の整備されていない 球場に行くのが嫌で嫌で 初めて白状しますが ゴロを捕るときは、 グラブではなく、 身体に当てて 止めようとしました。 エラーをすると ヤジも凄くて。 「下手くそー」と。 「バットで 取り返してやる」と、 いつも心に言い聞かせて いたものです。 |