大いに本当の報道を
俳優 三国連太郎さん

1923年群馬県生まれ
51年に映画
「善魔」でデビュー

映画出演は180本を以上
「異母兄弟」
「飢餓海峡」
「にっぽん泥棒物語」
「戦争と人間」
「神々の深き欲望」
「息子」
「釣りバカ日誌」等

原作・脚本・監督作
「親鸞 白い道」

人間主義という出発点

「赤旗」も日本共産党も
人間主義という出発点が
本来の成り立ちだと
思うんですね。

人間本位の暮らし向きを
主体にして成立っている
政治集団でしょうから

なんで抵抗がある人が
いるのかなと思いますね

保守勢力から嫌な印象が
根強く宣伝されたから
でしょうか。

戦前は共産党を非合法に
する裏側で戦争に
突っ込んでいった。

配属将校が軍事教練

旧制中学に入ったら制服
がカーキ色になって
ゲートルを巻いて登校する
事が規則になりました。

最初はバラバラだった登校
が、だんだん整然と乱れ
なく、歩調をとって歩く
ようになるわけです。

僕はその体質が嫌で
中学に行くのが
苦痛でした。

4,5年の生徒はストライキを
やっていました。

サーベルをさした配属将校
が軍事教練をするように
なったんです。

たばこを吸って
停学になった時は
将校の家で毎日
「教育勅語」を
書かされました。

従順になれなかった
僕は中学を2年で退学し
16歳で伊豆の田舎を
飛び出したんです。

仲間は帰ってこなかった

僕みたいなのを
不忠の民と
いうんでしょうね。

徴兵忌避で捕まって
34連隊に入りました。

中国に出征しても
なぜ自分が前線に
いるのか理由
づけられない。

中学の同級だった軍医の
助言で仮病を使い
陸軍病院に入院しました

それで命が
助かったわけです。

一緒に原隊を出発した
仲間はその後に
ガダルカナルに渡り
ほとんど帰って
きませんでした。

真実が見えなくされてる

2年半、中国にいて
終戦を迎えたんですが
戦争が終わったと
思ったら体中が
カッカッしてきましてね
これで生まれ故郷に
帰れると思いました。

韓国から連れてこられた
「慰安婦」の人たちも
どよめいていました。

従軍「慰安婦」は
いなかったという人も
いますが、実体を
見たのは僕の錯覚だった
のかなと現実に確信が
持てませんね。

今となっては何が真実か
見えなくされてるような
気がしますね。

訴えられる唯一の場

僕たちの仲間は何十万
という犠牲者を
出しました。

映画「北辰斜にさす
ところ」ではその思いを
せりふとして
入れてもらいました。

海の向こうには
帰ってこれない者が
いっぱいいるんだと。

生き残ったわれわれは
その犠牲に報いる事が
できているのか
不特定多数の犠牲者に
訴えられる唯一の場だと
思ったんですね

■孫と軍靴の音
■弁護士 宇都宮健児