■齊藤しげのぶからの贈り物「ちょっといい話」(毎週金曜日更新)
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▼タイトル
空の茶碗

▼本文
 ある禅の高僧が、弟子の一人を拙宅に招いた。
 「教えを得るにはどうすればいいか」という弟子の悩みを話し合ううちに、「さすれば・・・・」と高僧はお茶を用意した。そして師は弟子の茶碗にお茶を注ぎ始めた。しかし、一杯になっても、まだ注ぎ続けた。お茶は茶碗からあふれて、卓へとこぼれ、すぐに床へとこぼれた。
 とうとう弟子は言った。「もうおやめください。お茶はあふれております。もう茶碗
には入りません」
 師は言った。「よくぞ見てとった。お前についても同じことが言える。私の教えを得ようと思うならば、まずは頭の茶碗を空にしなさい」
▼タイトル
人生今が盛り

▼本文
人間国宝で彫刻家の平櫛田中の言葉です。
「人生いたずらに多事、人間いたずらに老ゆ。いまやらねばいつできる。わしがやらねば誰がやる」
 何度読んでもいい言葉です。
 百七歳で亡くなった田中は、百歳のとき向こう三十年分の木材を仕入れたといいます。百歳の老人がこれから先三十年分の彫刻の材料を買い入れ、そのうえで言い放つ「わしがやらねば誰がやる。いまやらねばいつ出来る」。この一言には、懦夫を奮い立たせるほどの感動を与えます。
▼タイトル
逆転発想法

▼本文
 松下幸之助は、相手がどんな人でも、言うことに最後まで耳を傾ける人だったそうです。凡人なら、若手社員の意見は早々に、「君の考えは甘い」などと遮ってしまうもの。
 「人間は誰でも、それぞれに素晴らしいものを持つ偉大な存在である」という哲学があった。
だから、相手の身分や年齢にかかわらず、一人ひとりに心から尊敬の念をもって応対した。
 また、「一定の知識を持っていると、我々はそこで納得してしまおうとする。しかしそのことが、我々を枠にはめている。目に新たであるためには、いつも『なぜ』と疑問を持ち続けなることが枠を超える一助になる。知っていることの強さの反面に、知っているための弱さはないだろうか。常識の枠を外して考え直してみなさい」と言っている。
 こんな「なぜ」から出た、「逆転の発想」の数々が松下電器を大きくしていったのです。
▼タイトル
人生の三大栄養素

▼本文
 人生の三大栄養素は、「愛」と「笑い」と「感動」であるといいます。
 昔の人は経験的に「怒り」や「笑い」が心身に及ぼす影響を知っていたようですが、現代では医学的にも実証されています。
 精神科医は、「よく笑う人は健康で長生きできることが分かっている。一日に百回から二百回笑うと、ボートを十分漕ぐのと同じ効果を心臓の働きに与える。ということは、血液の循環がよくなり、新陳代謝を促進するわけです」と説明し、「笑いは内側からのジョギングである」と結論付けています。
 笑いは、心身の健康な働きがあってはじめて表れます。心が病んでいたり、身体のどこかを怪我をしていたり、何かの病気にかかっていたりすると、心配が先に立ってとても笑ってなんかいられません。悩みや痛みは、せっかくの笑いを押し殺してしまいます。笑いは、嬉しさ、おかしさ、親しさから生まれてくるもので、ストレスの解消にはもってこいです。
 また、おいしいものを食べたり、素晴らしい景色や芸術などに接したり、念願成就をしたり、出会いの中から感動を味わうことも大切なことです。
▼タイトル
そろそろ「背中」で教えよ

▼本文
 中学生ぐらいになると、あれほどかわいかった「いい子」が、髪を染めたり、おかしな服装をしたり、親に悪態をつきだしたりする。親が感情的になって叱っても、反発するだけである。子供に嫌われる母親に共通点がる。
1、同じことをいつまでも繰り返し言う
2、子供じみた注意をいちいちする
3、その時の気分で叱る
 ある時は、「大きいくせに」と言い、ある時は「子供のくせに」とご都合主義で叱る。
 ある時は「いいわよ」と言い、後で都合が悪くなると「ダメ」と叱る。
 お客さんが来ると急に優しい口ぶりになり、愛想笑いをする。
 一貫性のない親の姿を子供は冷静に見ている。
  十四年 父の無能を 吹き込まれ ようやくわかった 母の愚かさ(中学生の狂歌)
 この時期彼らは親に逆らいながら、自分づくりを模索し、親離れの準備をしている。親も、いつ、どのように子離れをするかを考え、後ろ姿で示すことが大切です。

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