大陸打通作戦

「物をとって、食って
刃向かうものは
殺しました」

小暮哲夫さん(85)
=群馬県富士見村=は
地域の「九条の会」で
戦争体験を語りました

大陸打通作戦

小暮さんは1944年
湘桂作戦に参加しました

広東省からベトナムに
至る作戦で
「大陸打通作戦」の
一部をなすものでした。

44年5月27日
衛生兵として最前線の
重機関銃中隊に所属。

支給された食料は
わずか3日分。

食べつくしたら
行軍地域の集落から
奪いました

村人は朝食準備中だった

44年11月3日
広西省貴県でのこと。
いつものように集落を
襲いました。

村人は朝食の準備を
していました。

子供を連れた母親が
泣き叫びながら
逃げました。

日本兵は体の丈夫な
男性を捕らえました。

荷物運びに使うためです

老人殴り殺し、金品強奪

よろよろと家から
出てきた老人を隣の部隊
の兵士が棒で
殴り殺しました。

金品も強奪しました。

「勝手に入っていったん
だから、当然、相手は
抵抗します」

3時間後、中国軍との
戦闘が始まりました。

「みな青ざめて
すごい形相で戦った」

倒れていく中国兵。

日本兵も倒れました。
鉄兜の下から溢れる血。

名前を呼んでも
返事はありません。
現地調達が軍の方針

撃ち合いが終わると
負傷で動けない中国兵を
殺して回りました。

銃で撃ち、足で
踏みつぶしました。
道路が血で滑りました。

「そもそも戦争のやり方
が残酷だった」
食料は作戦開始時に
配るだけ。

それ以後は「現地調達」
は軍の方針でした。

■話さずにはいられない