日本軍国主義の被害をもっとも深刻にこうむったのは、中国、韓国・朝鮮だったが、中華人民共和国の代表も、韓国の代表も、北朝鮮の代表も、サンフランシスコ会議には招待されなかった。 ソ連など3カ国は条約に署名しなかった。
サンフランシスコ条約第3条で沖縄を日本から切り離し、米国の支配下におけるようにした。 第2条C項で千島列島を放棄し、ヤルタ協定にもとづくソ連の不当な占領を追認するものとなった。 これらの条項によって、沖縄は、長きにわたって本土から切り離されて米軍の直接統治下に苦しみ、千島列島はロシアの支配下におかれるという問題がつくりだされた。
日本占領の目的が達成されたら、占領軍は直ちに日本から撤収することを明記した、ポツダム宣言に反するものだった。
旧安保条約は、基地のすべてを提供する条約となった。 旧安保条約は、1960年に改定されたが、基地貸与条約にくわえ、米軍と自衛隊が共同してたたかう日米共同作戦条項などが新しい柱として盛り込まれ、日本をアメリカの対米従属的な「基地国家」として固定化するものとなった。 国民を苦しめている米軍基地の重圧も、憲法第9条に反する米軍と自衛隊との軍事的共同も、根源をたどると1952年4月28日に発効した日米安保条約にゆきつく。
当時の日本国内は、占領軍への一切の批判を弾圧する戒厳令同然の状態であり、デモも集会も禁止されていた。国会ですら、日本共産党の川上貫一衆議院議員(当時)が、「ポツダム宣言にもとづく全面講和」を求めたら、保守政党によって国会を除名処分にされるという暗黒状態だった。
条約発効の日を「祝う」ことは、 異常な対米従属が固定化された日を「祝う」ことであり、 沖縄を本土から切り離した屈辱の日を「祝う」ことであり、 千島列島を放棄したことを「祝う」ことにほかならない。
同時に、日本国憲法を安倍政権の言う「主権回復」以前に制定されたものとして、その改変を求める動きと一体のものであることもきわめて重大である。 日本共産党は、「主権回復の日」式典の企てを、ただちに中止することを、要求する。 赤旗日刊紙 13年3月15日要約 ◆こんにちはトップ ■資料 |