戦争責任検証が
アジア共生の道
立教大学名誉教授
粟屋憲太郎さん

 80年前の柳条湖事件とは、1931年9月18日、中国東北地方の奉天(現潘陽)近郊の柳条湖で、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件です。
 
 関東軍はこれを中国の攻撃だと偽り、中国領への攻撃を開始。
翌32年初めまでに遼寧、吉林、黒竜江の3省を占領し、傀儡国家「満州国」を作りました。
この全体を「満州事変」と呼びます。

 「満州事変」の「勝利」は国民の中に戦争し地熱を広げ、軍国主義化を一層深めました。
他方で、日本軍は中国民衆に対する加害行為を繰り返すようになりました。

平頂山住民3千人虐殺

 「満州事変」直後には、関東軍が無差別爆撃(錦州爆撃)を、翌32年には、抗日ゲリラと内通しているとされた平頂山の集落の住民3千人を虐殺する事件を起こしました。

 加害行為が拡大し、37年の日中全面戦争、41年のアジア・太平洋戦争に至15年戦争となりました。

原因と結果逆転の議論

 「日本の起こした戦争は正しかった」
という立場の育鵬社や自由社の教科書は、アジア諸国は日本の戦争を歓迎したと記しています。

 日本の軍隊はますます住民の抵抗や反撃を受けるようになり、戦争は泥沼化していきました。
自由社は、「満州事変」や日中戦争はあたかも中国の抗日戦争が原因というような書き方をしていますが、原因と結果を逆転させる議論です。
日本の侵略と加害があった結果として抗日戦争が起きたのです。

事実と向き合う事こそ

 二つの教科書は歴史の事実を正しく伝えていません。
最大の目的は、日本の戦争責任の隠蔽にあります。

 改めて戦争責任を再検証し、歴史の事実と向き合うことで、日本がアジアで生きていく道を広げることになるのです。

11年9月25日
赤旗日曜版要約

◆平和への願い