それは朝日新聞から

 ここにもってきたのは、電力10社で構成する電気事業連合会で広報部長を務めた鈴木建氏の回顧録『電力産業の新しい挑戦――激動の10年を乗り越えて』(日本工業新聞社、1983年)と題する本であります。 
1970年代、電力業界が、巨額の広告料で、大手新聞を次々に買収していった経過が、当事者の口から赤裸々に語られています。

 それは朝日新聞から始まりました。
1974年8月から、電力業界の10段のPR広告が、毎月欠かさず「朝日」に掲載されるようになります。

正力松太郎の面目

「早速読売新聞が飛んできた」と鈴木氏は書いています。
「読売」の広報担当者はこう求めました。
「原子力は私どもの社長の故正力松太郎さんが導入したものである。
それをライバル紙の朝日にPR広告をやられたのでは、私どもの面目が立たない」。こうして、「読売」にもPR広告が載るようになりました。

朝日・読売に続け

「朝日」、「読売」とつづきますと、「毎日新聞も馳せ参ずる」。
「毎日」からも広告の要請がくるようになりました。
「毎日」は当時、原発に反対するキャンペーン記事を掲載していました。
鈴木氏はこう啖呵をきります。

毎日も姿勢変化

「御社ではいま、原子力発電の反対キャンペーンを張っている。
それは御社の自由である。
……反対が天下のためになると思うのなら、反対に徹すればいい…。
広告なんてケチなことは、どうでもいいではないですか」。

こう言われて、「毎日」は、原発の記事を「慎重に扱う」と約束し、
「毎日」にもPR広告が載るようになりました。

 こうして「原発マネー」は大手新聞を総なめにしていったのです。


効果あった広告

「朝日」には、当時、どんなPR広告が掲載されていたのか。
1975年8月27日付の朝日新聞に掲載されたPR広告です。
10段の大きい広告です。
大見出しは「原子炉が爆発しないのはなぜか」
「原子炉は原爆とはまったく違った性格のものです」
「原子炉の安全設計は、“
取り越し苦労”ともいえるほど、念入りに行われています」、
「すべての制御装置が働かなくなったとしても、
大事故を起こすことはありません」。

原発キャンペーンへ

 「朝日」は、原発推進のキャンペーンをはるようになります。
1976年の7月から9月にかけて「核燃料――探査から廃棄物処理まで」と題する48回の連載記事が掲載され、
一冊の本(『核燃料 探査から廃棄物処理まで』、朝日新聞科学部・大熊由紀子著、1977年、朝日新聞社)にまとめられました。
目を覆うばかりの「原発安全神話」が満載されております。

猛省が必要

 原発事故後、
大手新聞のなかには、原発の危険を多少とも伝える報道を始めているところもあります。
自分たちがやってきたことへの猛省が必要ではないでしょうか。
東京の2万人集会、静岡の5千人集会を、1行も報道しないという姿勢はあらためたらどうでしょうか。

事実に誠実で、公正な報道機関なら当たり前のことだと私は考えるものであります。


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