私たちは原発の危険性とは何かを突き詰めて明らかにし、 「撤退の論理」を太く示しました。 第一は、他の事故にはみられない「異質の危険」があるということです。 重大事故が起こった場合に、放射性物質が外部に放出され、完全に抑える手段は存在しません。 被害は、「空間的」に広がる危険があり、汚染は、日本列島の各地に深刻な打撃をあたえています。 被害は、「時間的」に、将来にわたって続く危険があります。 子どもたちへの健康被害が強く懸念されます。 未来を担う世代の命と健康を守るために、あらゆる手だてをとることを、私は政府に強く求めるものであります。 被害は、「社会的」に、地域社会の存続をまるごと危機にさらしています。はるか山の先から雲に運ばれてやってきた放射能によって、避難を強いられた住民のみなさんの無念と怒りはいかばかりかと思います。 中曽根(康弘)元首相は、「飛行機だって落ちる」とのべました。 事故の可能性があるからといって「飛行機廃絶」を訴える人はいないでしょう。 飛行機事故とも自動車事故とも違う、他に類のない 「異質の危険」を人間社会にもたらすものです。 この危険をなくす方法は、ただ一つ、 原発そのものをなくすしかない。
いま開発されているどんな型の原子炉も、核エネルギーを取り出す過程で、莫大な「死の灰」を生み出すということにあります。 「死の灰」がつくられたら、人類は、コントロールする手段をもちあわせておりません。 「死の灰」を無毒にする方法を、人類はもっていません。 閉じ込めておくしかありません。安全に閉じ込めておく方法を、人類は持っていないことは、「スリーマイル」、「チェルノブイリ」、「フクシマ」と、人類は3度も経験したではありませんか。 「死の灰」の危険がなくなるに要する時間は何と100万年という「超歴史的」な時間です。 いまから100万年前といいますと、北京原人よりもっと前の時代です。 これから100万年先というとほうもない時間、 「死の灰」を閉じ込めておく保障がどこにあるでしょうか。 いったい誰の責任でそれをやるのでしょうか。 「核のゴミ」の最終処分場を日米主導でモンゴルに造る計画が報じられています。 「先進国」でつくった「核のゴミ」を、途上国のはるか未来の世代にまでおしつけることは、絶対にやってはならないということを訴えたいと思います。 ここに原発のもつ危険性の本質があります。 安全な原発などありえません。 危険をなくす方法は、ただ一つ、原発をやめるしかありません。 このことを重ねて強調したいと思います。
環境省の試算でも、実際に利用可能な自然エネルギーは、原発の総発電能力の40倍にものぼります。 私は、外国特派員協会で原発問題の講演を行う機会がありました。 特派員との一問一答の質疑も活発で、わが党の「提言」への共感も寄せられました。 質疑の最後に司会者がこう結びました。 「再生可能エネルギーの可能性は原発の40倍にあたるということが頭から離れません。志位さんには、原発撤退を実現させた後に再びここに来ていただき、どうやって、それを実現したかを報告してくださることをメンバー全員が期待しております」。 国民的討論と合意で、「原発ゼロの日本」をつくるために、大いに力をつくそうではありませんか。 ◆隠蔽と虚構 ◆89周年講演 |