ところが、原子炉格納容器からのベント(蒸気排出)などの緊急措置が行われたのは翌12日の午前10時以降。 吉井:なぜ早い時点で東電を指導しなかったのか。 あるいは、東電が指示に従わなかったのか。 海江田:法律にもとづく命令というのは、日をまたいでのことだった。 吉井:班目委員長と寺坂安全・保安院長は、危機感を持って臨んだのか。 班目:どれぐらい緊急を要しているのか把握していなかった。
東電に圧力容器の蒸気(を出して圧力)を下げろ 海水を含めて冷却水を入れろといわれたのか。 枝野:電力が回復しない ベントもなされない 水も入れない状況が一定時間続いて 急がないといけないということを午前1時半の段階で行った。 実際に1号機でベントが行われたのは9時間後の午前10時17分。 東電が最初の海水注入を実行したのは さらに10時間後の午後8時20分でした。 判断する重大局面だった12日午前6時すぎ 菅直人首相と班目委員長はヘリコプターで福島第1原発に向かい 原子力災害対策本部を4時間半も離れてしまったのです。 吉井氏はさらに 原子力緊急事態宣言を出した12日午前7時45分から同日の午後8時5分に経産相が東電に海水注入を命令するまで なんの対応もみられない “空白の10時間”があったと指摘。 「東電がやらなかったら、やらせなきゃいけない。 総理と原子力安全委員長が4時間半空白をつくっただけじゃなく 12日の7時45分(原子力緊急事態宣言)から空白の10時間がある。 これだけ深刻なものだということが明らかになっているのに きちんと対応しなかった責任はきわめて大きなものがある」 と吉井氏はただしました。 |