長女が東京、長男が長崎、次女が福岡とバラバラだ。 家族全員が揃うのは正月だけになった。 この家族(メンバー)を結び付けているのが、私の嫌いな携帯電話である。 家族の誕生日が近づくと、長女から「何月何日は○○の誕生日だから、忘れないでメールをするように」と電話がかかってくる。 そこで「誕生日おめでとう」のメールを送ることになる。 すると彼らから簡単な近況を伝える返事が返ってくる。 それだけである。 今は妻と二人だけの生活だが、私の活動を支えてくれる妻には、母の日と誕生日に花束を贈ることにしている。
それは28歳になる息子が私と酒を飲んだことが無いことだ。 久しぶりに帰ってきたかと思えば、「同級生と食事に行く」と言って出かけてしまう。帰ってくるのは深夜だ。 妻も食事の予定が立たないと嘆いている。 考えてみると、人が社会に出れば親元から離れ、社会(先輩や友人など)によって育てられる。 当たり前のことだが、子離れできない自分が恥ずかしくなるときがある。
私の若い頃は「正社員が当たり前」だった。 こうした時代に「若者達」「奴隷工場」「人間の条件」など社会派監督の映画に感動し、一方で娯楽”やくざ”映画を見ながら労働運動にも参加した。 考えると楽しい青春だった。 ところで、息子達にも今の社会の矛盾に目を向けて欲しいと思っている。 そして、困難にぶつかったときは、迷わず困難な方向に進んで欲しいものである。 ◆植木隆信の部屋 ◆今日は携帯版 ◆今日は植木トップ |