拷問の始まり

「ここに来た八路軍
(中国共産党の軍隊)
は何人だ!」
「どんな武器を
持っていた!」
「どっちへ行ったか!」

一人の中国人男性に
始まった拷問。

通信隊の無線手だった
仙波藤吾さん(86)
(さいたま市)は
躊躇しながら電器の
転把(てんぱ)を
回しました。

軍の功労者

後ろ手で椅子に座らされ
両手を発電機のコードで
縛られた男性。

高圧の電流が流れると
「ヴッ」と声にも
鳴らない声を出し
椅子ごと倒れました。

下士官が連れてきた男性
は見るからに農民でした

「ボロボロの服着てね。
破れた布靴は土ぼこりに
まみれて。
今まさに農作業
やってたって感じで。
そういう人を
引っ張ってくるんです。

兵士にとって連行は
戦果であり軍の
功労者になる」と
仙波さんは言います。

無言で胸を突き出す農民

気を失い、5〜10分後
目を覚ました農民に
下士官はたたくける
などして、同じ質問を
浴びせました。

農民は
「分かりません。
知りません」というだけ

「仙波、転把を
強く回せ!」
意識が戻った農民の
顔は青く
椅子に座ることも
出来ません。
無言のまま
胸を突き出してきました

度胸付けの人体刺突訓練

「生きて帰る望みはない
と思ったのでしょう。
最後の抵抗は
『殺してくれ』という
無言の意思表示だった」

夕方、仙波さんが
目にしたのは
兵舎の片隅に横たわる
農民の身体でした。

度胸をつけるため
初年兵に課す
人体刺突訓練の対象に
されたのだろうと
仙波さんは言います。

手を合わせ懇願する老母

過疎地の部落に
着いたときです。

食料は全て徴発する命令
が出されました。

無線手の任務からすれば
略奪行為は
始めてのことでした。

要領も得ないまま
重い軍靴で粗末な家の
戸をけ破りました。

病に伏した老父と
看病する老母しか
いませんでした。

食料らしき物が包まれた
小さな布を
むしり取りました。

老母は拝むように
手を合わせ
「持っていかないで」と
懇願しました。

孫の世代には・・・

しかし、仙波さんは
戦果を得た誇らしさしか
感じなかった!

2年間の従軍で
拷問と食料強奪は
一度だけでした。

それでも
仙波さんは悔います。

「孫の世代には
こんなことは
させたくない」

憲法9条に感激

憲法9条を知った時

「戦争を根本から
なくすものと
感激した」と
仙波藤吾さんは
話します。

◆元日本兵が語る体験
◆三光作戦の真実
◆今日は植木トップへ