「女達の戦争」逃避行
愛知県 高垣敏子


終戦間際
ソ連軍は満州に
攻めて来ました。

高垣敏子さん(77)は
終戦を逃避行の途中で
知りました。


物置に身を潜めました

ある晩
夕食を終えたころ
突然、ソ連兵4〜5人が
裏口から押し入って
きました。

14歳の高垣さんは父の同僚
の1才上の娘と玄関脇の
物置に身を潜めました。

家族は1箇所に集められ
ソ連兵に銃剣を
突きつけられました。

下士官らしき男は女性を
物色するため
家中を探し回りました。

声を限り叫びました

男は物置に気付くと
懐中電灯で
高垣さんの顔を照らし
彼女のズボンを
引き裂きました。

恐怖で声が出ません。

歯を食いしばって
抵抗していると
「大きな声で叫べ!」と
母親の悲痛な声が
響きました。

「助けて!誰か来て!」
高垣さんは声ある限り
叫びました。

男は高垣さんを短銃で
力いっぱい殴り
出て行きました。

日本への引揚げ

高垣さんは危うく難を
逃れましたが、下着の
まま高垣さんの家に
逃げてきた満鉄社員の
妻もいました。

引揚げが決まったのは
46年8月頃でした。

父親は病弱、母親は
産後1年という
身体でした。

15歳の高垣さん
12歳の弟
9歳と5歳の妹。

1歳の妹は栄養失調で首
も座らない状態でした。

お棺代わりの箱

夏の炎天下
過酷な道中が
予想されました。

周囲は1歳の妹を見て
「ミカン箱持っていけよ」
といいました。

「途中で死ぬに違いない
と、みんな思っていた」

お棺代わりの箱でした。

途中、末の妹が
血便をしました。

母親は「死んでくれ・・・」
とその子を抱いたまま
ポツリとつぶやきました。

「母は身も心も疲れ
果てていたと思う」

加害責任を教えるべき

引き揚げ団の団長だった
元憲兵が一般には
手に入りにくい
高価な薬をくれ
妹の命は助かりました。

「私達は
被害者である前に
加害者であるからこそ
こういう体験をした。

加害者であったゆえに
辛い苦しい被害を
受けなければ
いけなかったと思う」

高垣さんは
日本の加害責任について
きちんと教える言う
世論作りをし
九条をもった憲法を守る
力が大切だと訴えました

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