日本刀は中国人の首に

「命令だ。やれっ」
中隊長の声が響きました

日本刀は
無抵抗な
中国兵の首に
振り下ろされました。

宮本康弘さん(88)
画家、東京都小平市

「隠しておきたい、でも
忘れることの出来ない」
いやな体験でした。

中国人の病人を診る

宮本さんは1938年
21歳の時召集され、
終戦まで8年間
陸軍兵士でした。

39年には中支派遣軍南部
部隊石井部隊中退宣撫班
に所属、江蘇省鎮江市
にいました。

「宣撫」とは占領地での
住民工作のこと。
「軍医中心に中国人の
病人を診る」活動でした

日本刀で捕虜試し切り

宮本さんは中国人捕虜の
「試し切り」を
命令されました。

「上官の命令は朕(天皇)
の命令」でした。

首を切った瞬間
中国兵は足が伸びて
立ち上がるような格好で
前に掘った穴の中に
落ちていきました。

切断面から沢山の血管

「切断面から沢山の血管
が見えました・・・・・。
はっきり覚えています。
「宮本、見事だ」。
中隊長は叫びました。

日本刀を振り下ろし
ながら思ったのは
中国兵の家族の
ことでした。

突き殺す「訓練」

初年兵が5人ずつ一列に
なって中国兵の
前に並びます。

上等兵の「突けーっ」
の命令で突撃。

「度胸をつけるため」
が中隊長の説明でした。

初年兵の一人が
躊躇した為、銃剣が
浅く刺さり、中国兵の
叫び声が響きました。
中国兵は生きたまま土に
埋められました。

その初年兵は
良心の呵責に耐えられ
ませんでした。

銃剣で隣に寝ていた兵士
を殺そうとして
病院に送られました。

私は慣れてしまいました

殺すことに慣れなければ
自分が狂ってしまう。
そんな状態でした。

私は慣れてしまいました
戦闘が始まって
弾が飛び交えば
気合が入って
シャンとしたんです。

最前線で機関銃を
握った宮本さん、
「中国兵はバタバタ
倒れた」と言います。
「今思えば
たくさん殺しましたね」

強姦の見張りで銃を・

戦場では、強姦も
日常的でした。

将校や下士官は
部下を強姦の見張りに
使いました。
「命令されて私も
見張りをやりました」

18歳位の女性が強姦
されたこともあります。

将校は
抵抗する女性を
引きずって、その家の
2階に上がって
いきました。

「助けてくれ
助けてくれ」
すがりつく家族。

宮本さんは
家族に銃を
突きつけました。

宮本さんの耳に
助けを求める家族の
声が今もこびり
ついています。

知って欲しい

戦争が終わって60年
表に出さなかった思いを
宮本さんは
こう結びました。

「戦争で、どん底に
追い詰められた人間が
どうなるか
知って欲しい。」


◆元日本兵が語る戦争
◆三光作戦の真実
◆こんにちは植木トップへ