1917年広島市生まれ92歳
広島陸軍病院に赴任中に 被爆。被爆者救援に当る 1953年、全日本民医連 創設に参加。東京、埼玉 で診療活動。33カ国で 被爆の実態を語る。 原爆症認定集団訴訟で 証人尋問に立つ。09年 6月、日本被団協被爆者 中央相談所理事長を退任 現在、全日本民医連顧問
私の戦後64年の人生は
被爆者救援、核兵器廃絶 民主的医療の 運動に尽きます。 どんな問題でも人の命を 出発点にして考える ようにしてきました。
広島に原爆が
落とされた時、 投下地点から 6キロ離れた村に 往診に出ていて 生き延びました。 人間が焼きただれた 肉塊となり、 次々死んでいきました。 原爆投下後に 広島に入った人が、 突然高熱を発し 目じりから血を流し 死んでいく。 何で死んでしまうのか 分からないんです。 医者としてこれほど 辛いことは無い。
原爆は体の外から放射線
■米軍の機密と口封じを浴びせて大量の人の命 を一瞬で奪う 大量殺戮兵器です。 同時に、放射線を浴びた ほこりや水が体内に入り 内部照射によって、 病気を引き起こす。 そして人をゆっくり 殺していくのです。 |