浜辺清さん(80)は、
(東京都在住) 1945年8月15日の 終戦を中国の南京で 迎えました。 前年の44年12月 19歳で召集され 中支那派遣部軍 防疫給水部・登1644部隊 の衛生兵でした。 関東軍防疫給水部の 731部隊との兄弟関係に あった部隊でした。
1644部隊の本部は
南京城内の接収した 大きな病院に 置かれていました 3ヶ月の初年兵教育 3ヶ月の衛生兵教育を 受け、終戦間際の 7月から何百という 石油かんでネズミを 飼う係りに
捕虜はマルタと呼び
1本、2本と数えるのは 731部隊と同じでした。 軍医によって、生菌を 注射されたマルタは、 最後の一適まで 血をしぼりとる 「全採血」されました そんなマルタは10ヶ月で 40〜50人にのぼりました
8月11日か12日に
営庭の隅に埋めた 遺体を掘り出すよう 命令されました 30人くらいが グループに分かれて 3日間寝ずに 穴を掘りました。 遺体は、包帯で 全身を巻かれて 埋められていました。 掘ると水がしみだして 遺体はぶくぶくに 膨れていました。
遺体はまきの上に乗せ
重油をかけて焼き始め すざましい悪臭が たちこめました。 しかし、 うまく焼けないのです。 これでは間に合わないと 麻袋に詰めた遺体を トラックで運び出し 真夜中に揚子江に 沈める事になりました。 沈めれば泥の中に入って 浮いてこないと 言うのです。 檻の中の捕虜は 全部始末し わからないようペンキで 塗り替えた・・・・・。
必死の証拠隠滅作業にも
関わらず残された遺体の あったことが 98年、1644部隊跡地の 工事現場から判明します 頭蓋骨ばかりが詰まった 木箱と大腿骨ばかりの 木箱が見つかり 遺骨などからコレラ菌の 遺伝子が検出され 生体実験の犠牲者と 認定されました。
私でも公にすることと
なると勇気がいります 戦友も私にさえ事実を いいません。 60年たっても、 明らかになった日本軍 の蛮行は氷山の一角 だと思います。 いくら隠しても歴史の 事実を消す事は 出来ません。 それに向き合うことが 大事だと思い 機会があれば話すこと にしているのです。 ◆元日本兵が語る体験 ◆三光作戦の真実 ◆こんにちは植木トップへ |