今をさかのぼる事、十数年前、仕事を辞めた僕は、昼夜問わずの、不摂生な生活をして居りました。

有る事を切っ掛けに、今後の自分自身のことを考えて居た頃、偶然通りがかりに、目にかかったのが、赤提灯の小さな居酒屋。

中をそっと、覗くと、ねじり八巻の親父さんと、20代半ばの見習いさんらしき人がいました。

阪神の震災後、そのまま、なんとか営業している感じでしたが
お店は常にお客様に溢れ、にぎわいと活気があり、ほのぼのとした感じ…

毎日がマンネリ化していた僕には、とても新鮮さを感じさせられ

「よし!ここでアルバイトからでも、つかっていただこう!」

だめでもともととおもい、尋ねてみました。
時期的なタイミングもあり、即時にOK!
アルバイトから始めました。

漁師町で育って居た事もあり、目新しい鮮魚が沢山並んだネタケースは田舎の日本海を思い出させてくれ、又、お客様や親方も心良く仕事を教えてくれました。
……………

月日は流れて3年後から今日まで…

大阪で仕事をしていたのですが後に伊丹、西宮、赤穂、船場等、親方同士の紹介の元、複数店舗で修業させて頂き、数々の料理に驚きや、感動を沢山学びました。

基本技術を有る程度、身につけて来た頃、
今までの自分が学んで来た感動をどうすればストレートに表現できるか?

雇われのままでは、そこのお店の枠の中だけの料理しかできない…
色々な事を考えました。
「そうだ!だからこそ独立しよう!」(^o^)/
「でも資金が無いなぁ〜」(´A`)

親方に自分の今後の気持ちを理解して頂き、店舗探しから始めました。
中々、ココゾという物件が無い中、たまたま見つけたのが塚口3丁目の線路沿いの一角。
住宅街の中にあり、今一つかなと思いながらも、資金的な事もあって最初はここから始めようと決めました。

最初から大きな店が出来る訳がなく、「小さな店でもいい、自分の学んできた料理をお客様に評価していただきたい。」…

「場所が悪い」とか「ここは流行る店じゃない」とか、色々と、聞きましたが.そんなことは余り考えずに自分の気持ちに素直にやって行こうと思いました。
まだ子供が生まれて間がなかった嫁と二人でじっくりと考えた末、「和」食を「楽」しんでいただける店、たのしく、なごみを与えれるお店になれればと思い、屋号を「和楽」と決めました。
田舎から丸太を探してもらい、(和楽)と心を込めて浮き彫りにしました。




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