新春インタビューでは、1961年に綱領路線確定以降の半世紀を、「政治対決の弁証法」という角度でみても、私たちは、文字通りの「歴史的岐路」に立っているという事を話しました。 綱領路線の半世紀は、曲折と波乱と試練が続いた半世紀であります。 正確な路線のもとでのわが党の奮闘は、支配勢力の反共作戦を呼び起こし、それとたたかうなかで次の躍進を準備する。 その連続でありました。 この半世紀で、二つの躍進のピークと、2度の反共作戦を経験しています。
支配勢力は、1980年の「社公合意」という反共・右翼的再編――日本共産党をのぞく「オール与党」体制づくりによって封じ込め、わが党は、数回の国政選挙で後退・停滞を余儀なくされました。 「第2の躍進」は、「オール与党」体制が崩壊した後に起こりました。 1996年の衆議院選挙、98年の参議院選挙で、日本共産党は史上最高の峰を更新しました。 支配勢力は、わが党の躍進に対して、「二大政党づくり」という「最強・最悪」の反共作戦をもってこたえました。 財界が仲介して、「民主党」という「受け皿」政党まで用意しました。 わが党は、またも国政選挙で後退・停滞を余儀なくされました。
重要なことは、党躍進と反共作戦とは、単なる繰返しではないということです。 「オール与党」体制、 それに続く「二大政党づくり」、 支配勢力による反共作戦のたびごとに被害を受けたのは、日本共産党だけではありません。 国民の暮らし、政治、経済、社会の全体が、大被害を被りました。 反共作戦は「反国民作戦」でもあり、繰り返すたびに、自らの基盤を掘り崩し、行き詰まりと衰退を深刻にしています。 それが、半世紀にわたる「政治対決の弁証法」の一つの明確な結論だということを、強調したいと思うのです。 ◆閉塞打破の展望 ◆強く大きな党を |