山本運生さん
大阪・富田林市

元陸軍大尉の
山本運生
(うんじょう)さん
(94=大阪府富田
林市在住)は、
長い間「天皇中心
主義者」でしたが、
一昨年日本共産党に
入党しました。

「間違いだらけだっ
た人生のやり直し
です」

元気に活動
しています。


天皇のための命

 山本さんは1916年広島県生まれ。
 陸軍士官学校卒業後、旧満州やニューギニアを転戦。
偵察機で飛行中に、米軍戦闘機に襲われて負傷し、危うく撃墜される所でした。

 しかし、「天皇陛下のために死ぬのなら本望だ」と思っていました。
共産党は怖い党

 戦後は銀行員、不動産業に転身。
 大阪・梅田の阪急東商店街副会長を長くつとめました。
 
 考え方は戦前の影響をひきずったままでした。
 「軍国主義で育ったから”三つ子の魂百まで”です。
頭の中はずっと天皇中心のままでした。
共産党は怖い党だと思っていました」

市議候補の人柄に

 ところが、3年前に知人の紹介で日本共産党の岡田英樹市議候補(当時)に会い、人柄にほれ込みました。

 「応援していた保守の市議は口先だけで金儲けのことばかり。
真剣に市民のためを考える岡田さんの誠実さに打たれました」

騙されていたと涙

 市議選では岡田候補の支持を頼んで回りました。
 岡田さんは見事初当選を勝ち取りました。
 岡田市議は、「日本共産党員を見たことが無かったところに私が来て、頑張っている支部の人とも出合ったからです。
今は運生さんも党そのもですわ」と言います。

 入党後、日本共産党の歴史や綱領を学び、党史を4回も通読しました。

 「あの戦争がアジアを開放する”聖戦”ではなかったと、侵略戦争だったと初めて知りました。
 宮本顕治先生が獄中で戦争反対を貫いた苦労がつくづく分かりました。
 ずっとだまされていたと思うと、涙が止まりませんでした」

百八十度の転換

 参院選挙では親戚や昔なじみに支持を頼み、「じいさん、百八十度の転換や」と周囲を驚かせています。
 
 「もう引退や」と言っていた支部の83歳の党員は「山本さん見てたら、そんなん言うてられへん」と引退を撤回。
今は山本さんとペアで活動しています。

非国民どころか

 共産党は非国民どころか、本当の国民の党だと言うのが、2年間の活動の実感です。
人間を大切にすることが日本共産党の本質です。
私の考えは間違っていました」
 
 今近所の人に入党を勧めています。
 「戦争は絶対いかん。
だから憲法9条ですわ」と、酒好きの仲間達と「富田林 銘酒を楽しむ9条の会」を結成。
 毎月「9の日宣伝」にも参加しています。

長生きして貢献を

 「十分長生きしたと思っていましたが、この党に入って、100歳を超えて生きたいと言う意欲がをいてきました。

 長生きして党のために少しでも多く貢献するのが生きがいです」

10年10月3日
日曜版 要約

◆私も入党しました
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