だまされたと
涙にくれいし
慰安婦ら
冷たき風は
今も止まずに

施設部が慰安所管理

 千葉県我孫子市の松原勝さん(86)は、日本軍の「慰安婦」にさせられた 女性達の現状を歌に詠みました。

 1942年、松原さんは第4海軍施設部に軍属として所属し、トラック島で働いていました。
 施設部の仕事には、慰安所の管理もありました。

 トラック島は、東京から3000キロ以上はなれた南洋諸島。
 軍人、軍属、囚人までいたこの島は、原住民も合わせると人口3万人ほど。
 商店街、学校、病院、神社もありました。

泣いて訴える

 この島には、「南国寮」と「南星寮」の二つの慰安所があり、松原さんは、「南国寮」に通っていました。

 50人ほどいた「慰安婦」は7、8割が朝鮮人。10代や20代の女性ばかりでした。

 女性達は、「高級将校のメイドの働き口がある」「病人の付添婦の仕事だと言われた」と騙されて連れてこられたことを泣きながら訴えたといいます。

 「併合と戦争で、彼女達の青春を全て奪ってしまった。1日10人以上を相手にさせられて、身も心もぼろぼろだったはず。日本の責任は本当に重い」

軍関与歴史の事実

 松原さんが「慰安婦」問題について発言するようになったのは、1998年、中川昭一農水相(当時)が「歴史の事実として教科書に載せることに疑問」と発言。

 松原さんは、「93年に河野官房長官談話で、軍の関与を認めているはず。歴史の事実を、無かったことにしようとする発言は許せない」と証言を始めました。

 松原さんは、萩原勘一海軍大佐の印鑑が押してある「出入証」を持ち帰っていました。「軍の管理下にあった証拠です」

意見書可決

国連は、
「慰安婦」問題の
解決を勧告。

日本各地で
早期解決を
求める意見書の
可決が広がって
います。

松原さんも
我孫子市での
運動にかかわり、
同市議会で
3月に可決。
その時の想いを
歌にこめました。

◇ ◇ ◇

念願の
「慰安婦意見書」の
可決なり
傍聴席の
緊張解ける

◇ ◇ ◇

赤旗日刊紙
10年8月25日要約


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