みんな死と隣り合わせ
市川富士夫さん

「キューン」金属製の
音が響きました。
見上げると、戦闘機が
突然、目のの前に
現れました。
超低空で
迫り来る米軍機。


不敵な笑み浮かべ

1945年4月19日、
当時16歳だった
市川さん(79)
=東京都=は乗組員と
目が合いました。
「ニヤッ」と不敵な
笑みを浮かべた乗組員。

「まずい}と
思った次の瞬間。
「ブス、ブス、ブス、
ブスッ」。
機関銃の弾が地面の
両脇に突刺さりました。
市川さんは慌てて家の
中に逃げ込みました。

狙われた恐怖感

「自分を撃ったやつが
目の前にいた。
狙われた
恐怖感があった」。

この日、世田谷区一帯が
機銃掃射に襲われました

大森区(現大田区)の
自宅を焼け出された後、
家族で避難していました

終戦近くになると、
空襲警報は間に合わず、
B29爆撃機や戦闘機が
突然姿を現しました。

「まさか自分が
標的になるとは
思いもしなかった。

今でも思い出すと怖い」


庭木も2階も燃え逃避行

大森区の自宅で
空襲に遭ったのは、
機銃掃射の
4日ほど前でした。

住居の床板を上げて庭に
通ずる防空壕に
避難しました。

市川さんは印刷工場を
経営する両親と祖母、
工場の労働者と
逃げ込みました。

外が騒がしくなり、
庭の脱出口を
恐る恐る開けました。

「穴から首を出すと、
庭木が真っ赤に
燃えていた。
2階も燃えていた。」
真夜中の逃避行に
なりました。

一家全滅だったかも

落着いてから
焼け跡の片付けに
行きました。

脱出口から30cm位の所に
穴が開いていました。
焼夷弾の不発弾が
めり込んでいました。

もし
防空壕に入っていたら、

もし
不発弾でなかったら....

一家全滅だった
かも知れない」

若い人達に批判力期待

市川さんは若い人達に、
日本が戦場になった事や
戦争の悲劇を伝え、
戦争について考えて
欲しいと願っています。

「戦争は軍隊も
一般市民も区別は無い。
みんな死と
隣り合わせなんです。

そういう事が
だんだん忘れられて
いく事が怖い。

再軍備を進めようと
する人達に対して、
きちんと批判できるよう
に力をつけて欲しい。

その為にも、
戦争体験を
語る事を草の根で
広げる事が大事」と
市川さんは話します。


(本吉真希)
09年10月3日
しんぶん「赤旗」要約

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