感覚麻痺する生体解剖
元軍医 湯浅謙さん
元軍医 湯浅謙さん
=東京都=。92歳。

1942年2月から3年余、
7回に亘り14人の
中国人を生きたまま
解剖しました。

泣き叫ぶ人を

陸軍中尉として中国
山西省の陸軍病院に
赴任して、1月半ほ
どたった頃の事でした。

「手術演習をやる」との
病院長の命令に
「ドキンとした」。
軍医として臆病な姿は
見せられません。

「戦争に有益な事だ」
との思いもありました。

解剖室に入ると、隅に
中国人男性2人が両手を
縛られ、立っていました

1人は30歳位の兵士風、
もう一人は50歳位の
小柄な農民風で、
縛られた両手を前に
突き出し、「アイヤー
アイヤー」と泣き
叫んでいました。

看護婦・医師平気で談笑

罪もない生身の人間を
解剖すると言うのに、
解剖室の看護婦と
医師らは平気で談笑
していました。

二人を手術台に乗せ、
全身麻酔を施しました。

盲腸の摘出や腸の
切断・吻合、
腕の切断・縫合。

外科主任の軍医が
指導医でした。

内科医の湯浅さんが
解剖を手伝いました。
自ら器官切開を
練習しました。

よし、これを放り込め

1時間ほどで手術演習が
終わりました。
亡くなった農民風の
男性を、衛生兵が
外に掘った穴に
放り込みました。

兵士風の男性は、
苦しそうに呼吸を
していました。

病院長が心臓内注射を
練習した後、
空気注射をしました。
それでも死にません。

湯浅さんは全身麻酔に
使った残りを
静脈注射すると、
男性は咳とともに
呼吸を止めました。

「よし、これを
放り込め」
湯浅さんは命じました。

私の最初の戦争犯罪

「これが私が最初に
犯した戦争犯罪です。

最初はこわごわだった
のに、2回目は
平気になり、
3回目からは
得意になってやった」

病院長の指示で、
製薬会社のために脳の
皮質も採取しました。

手術演習教育の名目で
実施された生体解剖。

小児科医にも技術を
身に付けさせ、前線の
医師不足を補う為でした

■加害体験を証言し続け