創設者 理事長「村中祐生」
平成22年10月11日夜9時、癌により関越中央病院にて死去いたしました。
集中治療室にいる2週間、「あわてず、あせらず、ゆっくりと」と言いながら、ガンによる痛みを訴えることもなく、眠るように静かに、穏やかに逝きました。
保護者のみなさまには大変お世話になりました。ありがとうございました。

村中祐生は、昭和7年5月15日に慈照院で生まれました。当時のお寺は、明治時代の火災で全山焼亡したまま再建できない状態にあり、わらぶきの農家の廃屋を移築して仮本堂にしておりました。境内には畑と林があるのみだったということです。
昭和24年、高校2年生のときには父(祐人)を亡くし、苦学して大学・大学院を卒業しました。昭和41年、慈照院第53世住職に就任。その後、本堂・庫裏・書院・根本堂・山門などを次々に再建しました。昭和43年、二之宮保育園を創設。昭和47年、慈照幼稚園を創設。
また、昭和47年までは高校の教師をしながら大学で下積み研究者を続け、その後、大正大学教授〜仏教学部長・学長・天台宗勧学(天台座主の諮問委員/全国に7名)などを務めました。
晩年は「宗教者九条の和」の設立を呼びかけ、仏教だけでなく、神道・キリスト教・イスラム教など全国の宗教者と平和を守るための活動を熱心に行いました。
忙しい仕事の合間には、境内の掃除・整備なども行い、保育園・幼稚園の子ども達にも毎週月曜日に昔話(民話)をし、毎月第2日曜日に仏教の勉強会・座禅会(仏学塾)を開催する等、まさに働きづめでしたが、公私ともに充実した人生だったと思います。名誉住職がこのように充実した人生を送ることができたのは、檀信徒・地域・関係者の方々のご支援・ご協力があったからこそだと思っております。誠にありがとうございました。父(祐生)に代わり感謝申し上げます。


(略歴)
昭和26年〜36年
大正大学及び大学院卒業 
昭和30年〜47年
佐波農・伊勢崎高校・伊勢崎工業高校等、高等学校に勤務。
昭和36年〜平成18年
大正大学に勤務。博士(仏教学)
平成9〜12年
大正大学学長
昭和35年〜平成22年
天台学会・山家学会(平成8〜14年・2〜9年 学会会長)
昭和41年〜平成21年
慈照院第53世住職(平成21〜名誉住職)
昭和43年〜平成22年
社会福祉法人大乗福祉会二之宮保育園 理事長
昭和47年〜平成22年
学校法人大乗学園慈照幼稚園 理事長
昭和41年〜平成22年
保護司(昭和59年 法務大臣表彰) 
昭和26年〜平成22年
天台宗僧侶(勧学・大僧正)

(著書)
『現代中国仏教見聞』山喜房仏書林刊(単著)
『天台観門の基調』 山喜房仏書林刊(単著)
『摩訶止観』(現代語訳)中央公論社刊(単著)
『「いのち」の時事』すずき出版刊(単著)
『天台宗教聖典』T〜Y 山喜房仏林刊(纂輯)
『仏教のあゆみ』(中国編) 天台宗務庁教学部刊
『大乗の修観形成史研究』山喜房仏林刊(単著)
『天台小止観をよむ』(上下)NHK出版教会(単著)
『天台法華宗の研究』山喜房仏林刊(単著)

※元理事長(兼慈照院第53世住職)村中祐生のこの記述は、ウィキペディアに投稿しましたので、ご興味のある方はそちらもご覧ください。
※ウィキペディア「村中祐生」の投稿は、このWebページの作成者によるものです。