【昭和天皇と新島】



昭和天皇は、第二次世界大戦後の昭和27年に、宮中八尋殿に祀られていた『事代主の神』、いわゆる『えびす神』を伊豆七島新島に遷されたそうです。

本州の両端を結びその中心の日本海から垂線を降ろすと、飛騨高山を通り伊豆七島新島に至ります。
そしてその形は太平洋に向けて矢を構えた姿でもあります。
日本本土防衛の要として事代主の神を新島に遷されたようです。

かつて、『天照大神』は伊勢に遷され、『月読神』は山形県の月山に遷されております。
新島は代々事代主の神とその一族をお祀りしてきた所です。
その十三社神社の宮司が「いつ正式にお祀りしましょうか?」と申し上げたところ、「多分憲法改正になるころだと思う。」とのご返事だったそうです。

昭和天皇にとっては、日本の再生復活と次代への繁栄と安泰の証として、日出る国の東海の島新島には格別な思いがあったものと思います。

また、平成7年に十三社神社境内に天地魂之御柱建立に際して大義名分をしたためました。

日本海に面する能登半島の沖合いにある七つ島の神島と、太平洋上の伊豆半島の沖合いの七島の新島、そして、本州の二等辺線の一辺、新島と下関の彦島を結ぶ線上の中間点にあたる鳴門を結ぶと正三角形になります。

そして、かつての交易の中心は日本海側にあるも、今は太平洋側が世界の表にあります。

従って太平洋上の新島十三社神社境内に巨大御柱を建立することは、『今は裏に隠れている日本を鳴門を介して世界の表に現して太平の世を開く、成りなりて成る仕組みである』ことの由を、宮司側に伝えると、昭和天皇も新島の所在には、全く同じ意味のあることを言っていたそうです。