◆剛柔流空手道二代目◆
◆無形文化財保護者(人間国宝)◆
◆宮里 栄一先生◆

◯大正11年7月5日(西暦1922年)
沖縄県那覇市東町に出生

◯昭和13年から
昭和28年迄 15年間
剛柔流空手道流祖
宮城 長順 先生に師事

[宮里先生本人のお話]
長順先生の家は、私の家から三軒隣りで私の父と、親友でした。

家族ぐるみで親しい御近所付き合いをさせてもらい、家に行ったり来たり、食事(おもてでBarbecue等)を一緒にしたり、身内の様な付き合いをしてました。

元々私の父は、空手を嗜んでおり、私が生まれて物心付いた頃から、父により空手を学びました。また、近所で長順先生を見つけると、空手の手解き、指導を受けました。

でも本格的に入門・弟子にしてもらったのは、
昭和13年ですとの事です
(↑剛毅舘 舘長 三好裕幸が30年以上前、稽古中、宮里先生に直接聞いた話しです。)

◯昭和30年12月8日
宮城長順追悼大会開催

◯昭和31年6月 順道舘道場建設 オープン

◯昭和31年 戦後 沖縄空手道連盟結成、理事に選任

◯昭和37年 流祖追悼十年祭大会を記念し旧武徳殿に銅像建立する

◯昭和42年 全沖縄空手道連盟が組織され、副会長選任

○昭和47年
剛毅舘 舘長 三好裕幸
沖縄剛柔流空手道協会
北海道剛武舘道場入門

◯昭和48年 若夏国体
順道舘 全員参加

◯昭和56年 沖縄県空手道連盟結成 理事長

◯昭和62年 生誕100年を記念し顕彰碑建立

◯平成2年4月
県空連会長選任

◯平成6年1月
武道功労賞

◯平成10年10月
文部大臣より表彰される

◯平成11年12月11日
風邪をこじらせ、体調を崩し、肝不全のため、
他界 享年77歳 合掌

[三好コメント]
平成11年6月9日〜15日迄
全剛柔流釧路大会で宮里先生が沖縄より北海道に来られました。

当時東京在住の私(三好)もこの大会に出場する為宮里先生が宿泊しているホテルに宿泊し、大会の前々日、前日、大会当日(一日目夜)と、型:壱百零八手・十三手・十八手等の分解実戦裏技の指導を受け、一緒に食事をしたり、大浴場に入ったりしました。

大会当日二日目、宮里先生が見ている目の前で、自由組手決勝戦がはじまり優勝10年連続大会優勝を達成しました。

私(三好)が一本勝ちを納めた瞬間、
宮里先生は、余り弟子を誉めないと先輩方に聞いていた私(三好)に、
三好は、強いな良し良くやった
と言う言葉をかけてくれました。
それが印象的で、それが最後の指導と言葉に成ろうとは、思ってもみませんでした。亡くなるなんて……

この言葉を財産に、私は、一生空手を頑張る所存です。
謹んで御冥福をお祈り致します。
剛毅舘 舘長 三好裕幸
↑全剛柔流釧路大会↑
(上画)三好組手準決勝
(下画)三好決勝の模様
正面本部来賓席
右1)宮里栄一先生
右2)与儀雄介先生
右3)伊波康進先生
です
選手)黒面が剛毅舘舘長
 三好裕幸です