●2001名古屋市立大医学部・後期小論文

次の文章は森岡正博氏の著作「人間の誕生と廃棄」から
抜粋したものです。文章を読み、設問に答えなさい。

成長する胎児は、いったいどの時点から人間になるのであろうか。
この問いに答えるときに、生命倫理学では、
生物学的なヒトという意味での「人間」と、
我々の社会の道徳的構成員のひとりという意味での「ひと」を、
区別するのが普通である。

「ひと」とは、社会の一構成員として基本的な道徳的配慮をはらうべきというような存在者のことである。

 受精したばかりの受精卵は、生物学的なヒトという意味ではすでに「人間」であるとみなすことができる。
しかし受精したばかりの受精卵を「ひと」であるとみなす意見はそれほど多くない。
受精後38週たって出生した新生児になると、たいがいの人がそれを「ひと」と考える。
ということは、受精から出産のあいだのどこかの地点に、「ひと」ではない存在者が「ひと」になる境界線があるのだろうか。

 すなわち、問いは次のようになる。「受精卵はその成長の過程のどの時点で<ひと>になるのか」。
この問いは、人工妊娠中絶や胚の研究利用などの倫理的妥当性を左右しかねない大問題である。
この問いに対して、どこかで明瞭な一本の境界線が引けると考える場合と、そのような境界線はなく
「ひと」は連続的に(なしくずし的に)形成されると考える立場がある。

 まずは前者の意見から見てみよう。
「ひと」が誕生する最も早い候補としては、
受精の瞬間があげられる。受精の瞬間に、その受精卵はかけがえのない固有の生命を付与されているから、
一人前の「ひと」とみなさねばならないと考える。
しかしながら、受精とは一連のプロセスである。「受精の瞬間」ということばが意味する最も早い時点は、
精子が卵の透明帯を通過して卵表へ到達し、精子の放出によって卵の透明帯が変化して、
卵の周囲に防御帯を形成した時点であろう。
これによって、他の精子が卵に侵入することはできなくなり、受精卵の遺伝的由来が決定する。

 受精の瞬間ということばが意味するもうひとつの時点は、
精子の男性前核と卵の女性前核が卵の中心部で結合して、
通常の数の染色体が形成される核結合の時点である。
このときに、受精卵の染色体の構造が具体的に決定される。
染色体の遺伝子コードの実際の形成を重要視する立場をとれば、この核結合が「ひと」の成立であることになる。

 次の候補は、受精卵八細胞期後期のコンパクション
が成立する時点である。
すでに述べたように、コンパクション以前では卵割した細胞を人間の手でばらばらにすることができる。
ばらばらになった細胞は、そのひとつひとつが一個の人間に成長し得る。
しかしコンパクション以降の受精卵の人間の手でばらばらにすることはできない。
すなわちコンパクションによって受精卵は「自己同一性」を獲得するのである。
この自己同一性の獲得をもって、「ひと」の成立と考えることができる(八細胞期後期以降でも、
15日目までならば自然に一卵性双生児が生まれることはある)。

 次の候補は、受精卵第15日目前後、原始線条が出現して受精卵が三胚葉期に入る時点である。
すでに述べたように、三胚葉に入ればすぐに脊髄が形成され、中枢神経系が形成されはじめる。
体軸が決まり、左右が決まる。臓器が次々と形成されはじめる。
このように三胚葉期以前と以後では、
受精卵の性質が決定的に異なる。ここをもって「ひと」の境界とする考え方がある。

次の候補は、胎芽に脳幹が形成されはじめて、脳神経系の活動が開始される8週目前後である。
この時期から、身体運動もはじまる。
胎芽は、我々と同じような脳を持った存在へと成長してくるのである。脳の働きはほんの少しでもはじまるときに、胎芽は「ひと」となるとする考え方である。
 次の候補は、胎芽の主要器官の原型が形成され、
胎芽が自発的な動作を行いはじめる10週目から12週目にかけての時期である。
この時期までには、胎芽の身体の基本形はでき上がり、外見は人間の姿をとり、自発的に身体を動かせるようになっている。
 次の候補は、胎児の母体外成育が可能になる22週目前後である。
この時期を過ぎると胎児は、母体の外で生存できる能力を身につける。そして、外部知覚も開始し、成人と同じような脳波も検出される。
 最後の候補は、出産の瞬間であう。刑法上は、ここが「ひと」になる瞬間である。
なお、少数ながら、誕生後の新生児はまだ「ひと」ではないので嬰児殺しは許されるとする生命倫理学者もいる。