2月のニュースで、埼玉県の公立小で、男の子の体を持ち女の子の心を持っている児童が秋から女の子として通学し学校生活を送ることを、全校生徒と保護者にお知らせした上で実施したことが報じられました。
 
 体の性と心の性が一致しない「性同一性障害」は競艇の安藤大将選手(元の名前「千夏」、女→男)や、
世田谷区議の上川あやさん(男→女)たちなどの勇気ある行動で
少しずつ認知されてきていますが、
まだまだ社会の認知が低いのが現状です。
そんな中で、この埼玉県公立小の判断は新たな時代を切り開くかもしれません。

 実は私が今読んでいる東野圭吾の作品「片想い」がそのテーマ。
深刻で難しくて敬遠しがちなテーマを、ス
トーリー展開と登場人物の微妙な心の動きを通じて表現しています。

小説の持つ力を感じます。

ぜひご一読をお勧めします。
「性同一性障害」は当事者だけの問題ではなく、それを見つめることが、今の女と男の関係を見直すヒントになるかもしれません。


●クラブのママ(体は男性)とスポーツ記者の男性との対話の一場面
(小説「片想い」より)

「男と女はメビウスの裏と表の関係にある思っています」
「どういう意味ですか」
「ふつうの一枚の紙ならば、裏はどこまでいっても裏だし、
表は永久に表です。両者が出会うことはない。
でもメビウスの帯ならば、表だと思って進んでいったら、
いつの間にか裏に回っていることになる。
つまり両者は繋がっているんです。
この世のすべての人は、このメビウスの帯の上にいる。
完全な男はいないし、完全な女もいない。
また、それぞれの人が持つメビウスの帯は一本じゃない。
ある部分は男性的だけど、別の部分は女性的というのが、ふつうの人間なんです。
あなたの中にだって、女性的な部分がいくつもあるはずです。
トランスジェンダーといっても一様じゃない。
トランスセクシャルといっても、いろいろいます。
この世に同じ人間などいないんです。
その写真の人にしても、肉体は女で心は男などという単純な言い方はできないはずです。私がそうであるようにね。」

●生物学的・医学的特性は一部あるが・・・
 「性同一性障害」の一側面は生物学的・医学的に説明できますが、個々人の個性があり、一律に説明できるものではありません。
「男」「女」の偏見をはずし、普通に友達として付き合っていきたいと思います。私の友人にも、大学の学生寮(男子寮)で一緒で今は女性として生きている人がいます。
 

●ニューハーフが普通の世代
 「男」「女」のあり方には様々な考えがあると思います。
しかしそれぞれが「普通」だと思っている価値観が、他の人にもあてはめられるか?そもそも「普通」はあるのか?
ちょっと考えなおすと別の見方ができるかもしれません。

今の子どもたちが見ているドラマにはニューハーフのお店が多く登場します(「コードブルー」「特上カバチ」)。
私の育った時代では「変態」などと差別されてきましたが、
今の子どもたちの世代は多様な価値観を普通に受け入れていくのかもしれませんね。