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火曜「週刊にほんご」
木曜「週刊英語」
土曜「週刊理科」
です。

さて今日は「にほんご」です。

文壇と教育界に衝撃を与えた水村美苗「日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で」(筑摩書房)を私も読みました。
 水村さんによれば、英語の影響が強い国々は、英語ができる知識人層が英語使用に転じていくことで母語が衰退していくことが多かったとのことです。
しかし、日本は英語のできる夏目漱石があくまで日本語にこだわって小説を書いたことが結果的に日本語を守ったことにつながっていったのではないかと思います。

 そんなわけで私は夏目漱石を読み返していますが、
中学時代に読んだ時には気付かなかった日本語の微妙な美しさや人間感情の表現の機微を感じています。また漱石の文明批評は現代にも通じる部分があります。

 「吾輩は猫である」で、人の屋敷に忍び込む吾輩(猫)が語る一節です。

「さてこの大空大地を製造するために彼等人類はどのぐらいの労力を費やしているかと云うと尺寸(せきすん)の手伝もしておらぬではにか。
自分の所有と極めても差し支えないが他の出入を禁ずる理由はあるまい。
この茫々たる大地を、小賢しく(こざかしく)も垣を囲らし(めぐらし)棒杭を立てて某々所有地などと劃し(かくし)限るのは
あたかもかの蒼天(そうてん)に縄張して、この部分は我の天、あの部分は彼の天と届け出るような者だ。
もし土地を切り刻んで一坪いくらの所有権を売買するなら彼等が呼吸する空気を一尺立方に割って切売をしても善い訳である。
空気の切売が出来ず、空の縄張が不当なら地面の私有も不合理ではないか。
 如是観(にょぜかん)によりて如是法を信じている吾輩はそれだからどこへでも這入って(はいって)いく。」
(全集1「ちくま文庫」p146)

現在でも土地所有権をめぐって紛争があり、都市計画と所有権の兼ね合いが難しいことを考えると、漱石の指摘は100年後の今も生きていますね。

●「這入る」
 「入る」でなく「這入る」との表現で吾輩(猫)が忍び込む様子がよく伝わってきますね。
漱石の漢字・かなの使い方を味わうと、日本語の面白さ・美しさを感じられるのではないでしょうか?