★「失敗小説、酵素となる」―2010年9月10日〜2016年2月5日―
            2016年2月20日(土)午後6時 朝倉幹晴(53歳)

6年半の想いを表現したため、「たいへん長い文章」となりました。適当に読み流しながらお読みください。
20節に分けました。その見出しは以下の通りです。また、内容的に、個人的な想いが強く、市議としての公式サイト(予算案や総務委員会報告など公的な情報発信中心)に掲載することは躊躇し、今は停止状態となっている旧携帯サイトに掲載します。その影響でパソコンでは書式的に若干読みにくい点もあると思いますが

●見出し
1はじめに
2、10・20代の原点〜自然科学(数学含む)・社会正義・表現(小説)
3、2008・09年〜「がん対策とがん遺伝子」
4、2009年夏、市議としての事務所体制の撤退
5、2009年9月10日、小説「キャサリン・キャンサー」(主人公、浅利みゆき)構想思いつく。
6、2009年10月31日、金沢市21世紀美術館、金沢市高校生美術展での1枚の絵との出合い
7、2009年11月30日、水戸コミケ(2010年3月21・22日開催)に締切当日出店申し込み

8、2010年3月15日、携帯小説「キャサリン・キャンサー」第1幕スタート
9、2010年10月20日、携帯小説「キャサリン・キャンサー」第2幕(2015・2016年が舞台)スタート
10、2011年3月11日、東日本大震災で執筆停止・現在にいたる。
11、携帯小説「キャサリン・キャンサー」の紹介(あらすじと登場人物配置)
12、小説失敗の原因分析〜テーマの難しさ、共感の欠如、登場人物が多すぎる・構想の欠如・既存作品の焼き回しの側面
13、挑戦したことそのものの意味、左京区の舞台設定のみが小説としての成功か?
14、失敗小説、酵素となるー311以降の激動、市議会活動、本出版につながる。
15、2016年2月京都行き前後の読書と思索
16、2016年1月31日、
七月隆文「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」(宝島社)との運命の出会い
17、コーバイス「意識と無意識のあいだ〜『ぼんやり』したとき脳で起きていること〜」(講談社ブルーバックス)での小説の捉え方
18、お別れ会としての2月5日早朝京都散策強行〜小説執筆中の鈴木ひろ子市議とともに
19、別の形での復活の夢
20、まずは4月から源氏物語現代語訳(寂聴源氏)を読み進めます



1はじめに
 私は大学卒業後、1989年より駿台予備学校生物科講師、1999年より船橋市議となり
それ以降、市議としての活動をさせていただいている。ひとえに応援していただいている皆様のご支援により、53歳の今日まで活動をさせていただいてきた。
 人間いつ命がなくなるかわからないが、仮に100歳まで生きるとした場合、人生の前半が終了し、折り返して人生の後半にさしかかったと考えている。
 人生前半の最後のタームともいえる2009年9月10日〜2016年2月5日の6年半、私は原則的な市議会活動は継続しながらも、「様々な世界」に関わり、不思議な体験をし、不思議な出会いもあった。「狭義の市議の活動」として見ると、それからはずれた「寄り道」であったかもしれないが、結果的には、世の中・人間・出会いを別角度から見るきっかけとなった。2016年2月5日の京都で、人生前半の最後のタームを振り返り整理する時期と感じ、ここにしたためます。
 
2、10・20代の原点〜自然科学(数学含む)・社会正義・表現(小説)
 10代の頃から志向していた「自然科学(数学含む)・社会正義・表現(小説)」という3つの方向を今の志向して生きており、取り組んでいる具体的なことは変わっても、53歳になっても、人生の基本は10代と変わっていないと感じる。
 子どもの頃より自然科学(数学含む)が好きで得意でもあった。同時に、公害問題を知り、自然科学が悪用されないような社会正義を求めた。高校の時は「政治」そのものには無関心であったが、東大駒場寮委員会活動で社会正義を実現する手段としての「政治」を知った。その体験が船橋市議としての基本になっている。
 最後に「表現」。中高生では音楽・美術など表現を志向する人は多い。私は音楽と美術はは得意でなかったが、自然科学を基本に表現を行う「SF(空想科学)小説」「SFアニメ」に魅せられた。私にとっての「表現」はSFであり、アニメ・マンガは書けなかったので、いつか「SF小説を書こう」との夢を愛知県立時習館高校の頃持ち始めた。
当時、千葉県立安房高校から早稲田大学に進んだ中沢けいさん(現法政大学教授)が千葉の海と早稲田大学の往復を舞台とした「海を感じるとき」で「群像新人賞」を受賞された。そんな影響もあって高校の文学部に入部し、短編SF小説を書いた。東大合格後もしばしSF小説を書こうと試みだが、「体験が不足しすぎていて何も書けない。まず体験が先だ」と考え、執筆をあきらめ、寮委員会活動や応援部の活動などに入り込んだ。それが現在にいたる政治活動や体力の基本になったのだから、大学入学後しばらしくして(1982年)小説を断念してよかったと感じた。そして「SF小説の夢」は保留したまま、2010年にいたる。

3、2008・09年〜「がん対策とがん遺伝子」
 2008年に私に多大な影響を与えた方の死を知り、混迷した思索が始まった。ただ、そこことはまだ文章化すべき時期ではないと考え割愛する。
 2009年ごろ、「がん対策」に関して、全国的にも船橋市においても大きな動きがあった。
2006年「がん対策基本法」が制定され、「がん治療の均てん化」(全国どこにいても標準的ながん医療が受けられるようにする)、「がん診療連携拠点病院」の設置が促され、船橋市立医療センターも2007年に指定させるとともに、2009年「緩和ケア病棟」の開設となった。 私は、患者家族の立場からがん対策に取り組んでこられた船橋市のNPOの方のご意見・アドバイスをいただきながら、 また放送大学の「がんの健康科学」(45分×15回)を丹念に見て、緩和ケアとがん対策に関し、市議会で質疑した。
2009年3月6日、船橋市議会本会議質疑
ちょうどその頃(2009年夏)、シャーナリスト立花隆さんが、自らががんになった経験から、世界のがん研究者をインタビューするNHK特集「がん 生と死の謎に挑む」が放映され見た。生物学徒としてがんの基本点は知っていたが、がん細胞と免疫細胞のせめぎ合い、
正常細胞(免疫細胞)が裏切ってがん細胞の味方をするなど、がんの手ごわさが、生物学を学んでない視聴者にもわかる形で示された。
その後、私は立花隆氏に主に取材されていたワインバーグ氏が、世界の標準的ながん研究のレベルを示した本「がんの生物学」を読んだ。
 この本の中でワインバーグは、がん細胞を擬人化する次のような表現を随所に使っている。例えば、次の文はその一例である。

「転移する(がん)細胞は種子のように沢山の方向へ播かれるけど、それらがいったん特定の土地(組織)に落ちたときに、それらの将来の運命に関して受動的な役しか果たさないように描くわけにはいかない。そうでなくて、これらのがん細胞は、落下した土地を積極的に耕し、それら細胞と子孫細胞が増殖するための肥沃なる大地となるべく耕作するのだ。」

がん細胞が免疫細胞の監視をすり抜け増殖していく巧妙さは、まるでがん細胞に意志があるように擬人化表現することで実感がしやすくなる。

4、2009年夏、市議としての事務所体制の撤退
  私は2001年からは市議としての事務所を本町に持ってきた。しかし、事務所は思ったように機能せず、いろいろ逡巡・紆余曲折がありながらも、
@事務所を撤退する、荷物はトランクルームに預ける。
A市民の方のご要望を伺う時は、市役所・勤労市民センター・喫茶店で伺う
形に整理し、事務所に収納していた荷物を廃棄するのと、トランクルームに移行する作業・整理を2009年夏いっぱい行った。その整理と同時に、がんの勉強をし思索を続けていた。
その整理・事務所の撤退が完了したのが9月上旬であった。


5、2009年9月10日、小説「キャサリン・キャンサー」(主人公、浅利みゆき)構想思いつく。
 立花隆のNHK特集を見て、ワインバークのがん細胞擬人化表現を読んでいたとはいえ、それを小説にしようと考えていただけではない。しかし、発想というのは、煮詰まってきた時、自然に湧き上がるもののようである。

 1970年代から少女マンガの第一人者の1人であり、現在京都精華大学長をされている
竹宮恵子さんの自伝「少年の名はジルベール」(小学館)に次のような記述がある。

「とある夜。10時ごろだったことは、よく覚えている。私は部屋に飾られた『ダフニスとクロエ』のポスターを眺めながら、頭の中に現れる妄想をなんとか絵にしとうと必死になっていた。『これ何なのかな。・・・すごく自分とぴったりくる!』『このキャラクター、今まで描いたことのない顔なのに、自分のキャラって気がする』『少年の名はジルベール。絶対にそれ以外にじゃない』
   (竹宮恵子「少年の名はジルベール」(小学館)p37・38、2016年2月1日発行)

表現としては、偉大な漫画家、竹宮恵子さんの足元にはるかに及ばない私であるが、
2009年9月10日に、一気に小説の構想が頭の中に浮かんできた。
「書名はキャサリン・キャンサー。キャサリンという愛称の女の子と、その体に宿るがん細胞(がん遺伝子)キャンサーの話。キャサリンの本当の名前は浅利みゆき。」
 しかし、この時は、「60歳過ぎたら、書いてみようかな」ぐらいに考えていた。

6、2009年10月31日、金沢市21世紀美術館、金沢市高校生美術展での1枚の絵との出合い

2009年10月31日、金沢市に伺う機会があり、移動中に、船橋市に住んでいらしたこともある村上春樹さんの「1Q84」を読む。