このところちょっとモノを書きたい季節です
写真がなくて申し訳ありませんが
ワタシの「書きたい」マインドにおつきあいください

昭和41年生まれのボクが
ルパン3世のアニメを認識したのは
確か小学校2年生だったと思います

すでに
そのとき
一度 本放送は終わっていて
確か夕方にやっていた再放送だったと思う

本放送の時は記憶にないので
それほどもしかしたら評判にはならなかったのかな
すくなくともボクの周辺では本放送の記憶はない

でもホント
ルパンは
かっこよかったんですね
のちに小説でハードボイルドの味を
おぼえていくのですが
ボクにとって一番最初の
ハードボイルド体験というのは
ルパン3世だと思います

当時の小学生は
多分この時の最初の再放送で
ルパンを「発見」したんじゃないかな

学校にいったらすごくみんな驚いて
一気にルパン好きになっていましたから

で ですね
ボクがルパンで惹かれたところは
「参加しないという手も
 大人の判断としてはありだ」ということなんですね

ルパングループは
泥棒やらなんやらしますが
次元大介や
五右衛門は
何かの事情で気分が乗らなかったり
これは参加できないと思うと
「今回はパスだ」とハッキリ言う

これがボクには
驚きで
ああ そうか
それでいいんだと思ったのです

おこさまで
日本人のボクは
ある集団に参加したら
すべての行事に参加しないといけないと
思っていましたが
「ああ 事情によっては
 気分がのらなかったら
 別にいいんじゃないか
 ルパンの仲間だって
 行動をともにしないことがあるじゃん」と
思えたわけです

第一作の映画でもそうですよね
マモーとの最後の戦いのときに
次元は「いかない」といい
それをルパンは許容します

ボクも
そういう許容する人間でいたいと
思ったわけです

さて その通りの許容できる人間に
育ったのでしょうか

でもこう考えてみると
ちょっとしたアニメでも
人格形成というか
様々な行動に
影響を及ぼしているんじゃないかな〜と
思うわけです

1月2日の未明にふと思ったことでした
2日未明だけどこれは初夢じゃないよ
初夢は内緒