ブルキナファソの子供たちに日本から持ってきたお土産の琉球キーホルダーをあげようと、彼らが7〜8人でおしゃべりしている時に、満面の笑み(?)で手を振って近づいて行き、誰か英語を話せるかと話しかけたところ、沈黙〜。

あや〜、やっぱり誰も英語はしゃべれないんだ!無言の笑顔でキーホルダーを押し付けちゃおうかしらと思っていたところ、ソファーに座っていた結構小さいほうの子が手を挙げてくれました。

彼のものすごく流暢な英語にびっくり!その反面、話しかけてきたくせに、たいしてしゃべれず、へたくそな英語の私にたぶん彼はびっくりしたでしょう。あ〜はずかしい。

彼の名前は、2回聞き返したけど、それ以上は聞きかえせなかったし、メモも持ってなかったので忘れてしまいました。吉満さんが友達になったイエズマくんより、もっと長い名前でした・・・・・。

ブルキナファソから家族で来ていると言った彼に、“ブルキナはWEST AFRICAですね!”というと、彼は、”NO.,AFRICA”と言いました。 あれ、ブルキナって西じゃなくて東だっけ?でもどうしてEAST AFRICAでなくて、AFRICAなの?帰りの飛行機の中でアフリカの地図を見たら、やっぱりブルキナはWEST AFRICA。なぜNO.?

家に帰ってから疑問が解けました。ブルキナファソは、フランスの植民地時代に周辺のいくつかの国々と一緒に、フランス領”WEST AFRICA”という名前だったのです。(きっと中学か高校では習ったんでしょうけど、あまりに昔のことでまったく覚えていません。)

私はアフリカの西部という意味でWEST AFRICAと言ったのですが、彼らにとってWEST AFRICAというのは、アフリカの西部を意味するのではなく、過酷な植民地時代の国の名前だったのですね。

もちろん彼が生まれるはるか前のことですが、今は植民地なんかじゃない、1つの独立した国なんだ!と小さいながら主張と誇りが隠れていたのではないかと思うと、なんだか胸にこみあげるものがありました。

赤は過去の英雄の血の色。緑は農業資源。黄色い星は明るい未来を約束しようという決意を表しているというブルキナの国旗。

島崎ゆみ子