■齊藤しげのぶからの贈り物「ちょっといい話」(毎週金曜日更新)
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▼タイトル
青春

▼本文
青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。
優れた創造力、逞しき意思、炎ゆる情熱、怯懦を却りぞける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春というのだ。
年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、孤疑や、不安、恐怖、失望、こういうものこそあたかも長年月のごとく人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く、脅威への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に対する剛毅な挑戦、小児のごとく求めて止まぬ探求心、人生への喚起と興味。
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望のある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして威力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までもおおいつくし、、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。
▼タイトル
なぜ「地上の最強者」は滅びたのか?

▼本文
 歴史を見れば明らかなように、盛者も必ず衰退する。歴史家の多くは、その原因を盛者の驕りにあるとする。それも一つの原因ではあろうが、それだけで滅びた例はありません。
 もっと大きな原因は、時代とともに競争の次元が変化し、それまでの成功要因がこだわりとなり、弱点や足かせになるからです。
 人間は、いや生物は、これまでうまくいっていたことを、順調であるからこそなおさら変える必要が生じたとわかっていても、なかなか変える勇気を持てない。そして、それをなお強化しようとして滅びていきます。
 大きくて強かった恐竜は大きくなりすぎて身を滅ぼし、強力な軍事国家は軍備を強化しすぎて財政破綻をして国を亡ぼす。経済界における競争原理も同様で、大きくなりすぎて崩壊した会社や権力を集中させすぎで挫折した経営者の例など、枚挙にいとまがない。
 それ故に、時代の変化を察知するだけでは十分ではなく、今日の成功要因であっても明日には弱点や足かせに変わるそれらを、一夜にしてはずしてしまえるかどうかが課題です。
 それを絶頂期に準備しなければならない。そこに変革の難しさがあります。

▼タイトル
会社の危機を救ったトイレの「一輪の花」

▼本文
 仕事はすべて楽しくなければならない。しかし、働くことが喜びであり、勉強であると得心するのは、なかなか難しい。仕事が生活の手段となり、労働対価として金をいただくという考えだけでは、仕事はつまらないものになります。
 東芝の工場清掃を担当していたダイキングループのⅯさんは、東芝の業績が落ち込んだ時、「下請けや関連会社の支払いが手形に切り替わると、社員に給与が払えなくなる」と、工場長のところに改善をお願いに行った。工場長の尽力で従来通りになったが、その時工場長が次のように言った。
 「来客があるので、いつも花を飾っていますが、御社の清掃の方は、取り替えた古い花をそのまま捨てるのではなく、花の中で程度のいい花を選んで、いつもトイレの一輪差しに入れているのを思い出して、何とかしてあげたいと、本社にかけ合ったんです」
 心ある仕事というのは、ほんのちょっとの心遣いの差だと思います。しかし、その「ちょっと」が抜けたら、金儲けだけの仕事や、ありきたりの商品になってしまいます。自分の仕事に誇りと愛着があれば、どんな仕事であろうがおのずと仕事に気持ちが入ります。
▼タイトル
「してあげられる幸せ」

▼本文
 ローヤル社長の鍵山秀三郎さんは「幸せには三つあることを知っていますか?」と、聞きました。
「一番目は、やってもらう幸せです。皆さんが赤ちゃんの時、お腹がすけば泣いたし、おむつが濡れれば泣きました。するとお母さんは飛んできて、おっぱいを含ませたり、おむつを替えたりしてくれましたね。皆さんは幸せでした。これがやってもらう幸せです。
 二番目は、自分でできるようになった幸せです。字が書けるようになった。一人で自電車に乗れるようになった。サッカーがうまくなった。これが自分でできる幸せです。なんでも自分でできるようになると、偉くなった気がして嬉しいものです。
 でも、その次があるのです。それは、人にしてあげる幸せです。人がしてほしいということをしてあげれば喜ばれますね。そんな人は頼りにされます。してあげる幸せは三つの幸せの中でも最高のものです」
 私たちは、いまだに「してもらう幸せ」ばかりを求めて、絶えず不平不満ばかり言っています。「してあげられる幸せ」を噛みしめたいものです。
▼タイトル
講演会

▼本文
 講演会へ行くと、よく最前列が主催者側の偉い人用の招待席になっていることが多い。
 永六輔さんはそれを見ると、始まる前に会場に降りて行って、招待席の紙をはがし、最後列に張ってしまうそうです。
 それは、「主催者は招待されてはいけない。むしろ、後ろの席にいて聴衆の反応を見ているべきだ。お客様が喜んでいるか、共感しているかを知らなくちゃいけない。それには後席が特等席」という理由だそうです。
 それに付け加えれば、中座するにも、後席のほうが目立たないし、講師や他のお客さんに迷惑をかけませんものね。

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