そのテコになったのは、原子炉で燃やす濃縮ウランでした。 1955年で、濃縮ウラン6キログラムが提供され、アメリカ製の研究炉を輸入します。 “「濃縮ウランの提供」。 それを燃やすための原発導入”という 「世界に類を見ない逆立ちしたスタート」となりました。 1958年、濃縮ウラン2・7トンが提供されます。 アメリカ製の実験炉が輸入されます。 1968年、濃縮ウラン154トンが提供されます。 アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)と、ウェスチング・ハウス(WH)という原発メーカーが競って売込みをかけてきます。 日本の濃縮ウランの73%はアメリカからの輸入に依存しています。
福島第1原発1号機は、ゼネラル・エレクトリックの設計をそのままコピーしたものでした。 そのため、非常用電源が津波でまっさきに壊される地下に設置されたのです。 なぜそんなバカなことをしたのか。 アメリカでは一番の自然の脅威といえばハリケーンと竜巻です。 だから非常用電源は地下に設置されるのです。 アメリカ製品をコピーした結果が、この重大事故を招きました。 その後につくられた原発も、アメリカ技術のコピーにすぎません。 だから重大事故が起こると、アメリカの力を借りないと、自力で対処することができない。 世界の主要な原発利用国で、自力で原発の開発をせず、コピー製品に頼っているのは日本だけです。 濃縮ウランも、原子炉も、アメリカ頼み。 事故の処理も自力でできない。 エネルギーの対米従属からは抜け出し、自然エネルギーという国産エネルギーに大きく切替えようではありませんか。
「原発利益共同体」を解体し、国民の命と暮らしを守る 「ルールある経済社会」を築くたたかいです。 エネルギーの対米従属を打破していくたたかいです。 アメリカ・財界いいなりという日本の政治の 「二つの異常」をただし、 日本社会の姿かたちを大きく変えるたたかいです。 自然エネルギーの本格的な普及と、 低エネルギー社会への転換によって、 人々が安心して暮らせる社会、 人間らしい生活と労働が保障される社会をつくる ――これが私たちの展望であります。 「原発ゼロの日本」の一点での広大な国民的共同をつくりあげようではありませんか。 ◆変化の歴史的前夜 ◆89周年講演 |