【 20ドルが 運命を変える鍵となった 】


 アメリカで、クリスマスになると 貧しく困っている人々に、現金をプレゼントする男性がいた。
 彼は いつしか「シークレットサンタ」と 呼ばれるようになった。

 1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは、会社が倒産し 路頭に迷っていた。
 あまりの空腹に耐えきれず、つい レストランに入って 取り憑かれたように 注文してしまった。
 請求書を出され ようやく我に返り、お金を持っていない事に気づいた。

 なんとか その場を取り繕おうと ポケットの中を探すフリをしながらも、警察に突き出されても仕方が無いと思っていた その時だった...、

 一人の男性店員が ラリーの横で しゃがんで、20ドル札が落ちていたと渡してくれた。
 お陰で、彼は 会計を済ませる事ができた。

 この人生最大の苦境に 偶然 手に入れた20ドルが、後に 彼の運命を変える重大な鍵となる。

 1972年、カンザスシティに移り住んだラリーは、警備関係の会社を起こして懸命に働いた。
 結婚し 子供も生まれたラリーは、幸せな生活を手に入れたかの様に見えた。
 しかし 1977年12月、不況で会社が倒産し その日の食事代にも困るほど 追いつめられた。

 貧しさのせいで ラリーは 我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになった。
 だが、20ドル札を見て ふと我に返り、銀行強盗を すんでの所で思いとどまった。

 改心したラリーは 1978年、妻の兄からの援助を受けて セールスマンとして懸命に働いた。
 そこで 彼は、またしても試練を与えられる。

 1979年12月、会社の経営が思わしくないということで、ラリーは 解雇されてしまったのだ。
 もう 助けて貰うあてがないと、途方に暮れていた時だった。
 ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文した。
 店員の女性は 暗い表情で、違う商品とお釣りを ラリーに渡した。

 ラリーは 彼女が困っているのだと思い、お釣りの中から 20ドル札をプレゼントした。
 彼女は 受け取れないと言ったが、ラリーは クリスマス.プレゼントだと言い 手渡した。
 この日は クリスマスだった。
 女性は、嬉しそうに 礼を言った。

 その笑顔が ラリーを明るくし、彼の思いも寄らない行動をすることになった。

 そのまま ラリーは 銀行に行くと なけなしの貯金を引き出し、白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で 町に繰り出した。
 そして 困っているような人や貧しい人に、20ドル札を クリスマスプレゼントとして手渡したのだ。

 シークレットサンタが、誕生した瞬間だった。

 20ドルは 大金ではなかったが、困っている人々にとっては 大きな助けとなり 喜んで受け取って貰えた。
 それが、ラリーの人生に 思わぬ影響を及ぼすことになる。

 家に戻ると、妻から 銀行にお金が残っていなかったと 聞かれた。
 ラリーは、落としてしまったと答えた。
 すると妻は 怒るどころか「仕方がないわね。でも あなた幸せそうね」と微笑むだけで、文句を言わなかった。

 翌年の1980年、ラリーは 友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働いた。

 そして その年のクリスマスも道に立って、人々に現金をプレゼントする活動を続けた。
 その金額は、少しずつ多くなっていった。
 不思議なことに シークレットサンタとなって施しをすればするほど 会社の業績が上がり、長年の切り詰めた生活から抜け出し 家族の為に家や新しい車を買えるまでになった。

 ラリーの妻も、町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになった。
 彼は、家族にも言っていなかったのだ。

 彼は それからも1年も休むことなく シークレットサンタの活動を続けたのだが、9年目の1987年12月、ついに 妻にシークレットサンタが ラリーであることが 分かってしまった。
 すまないと謝るラリーに、妻は「素敵なことじゃない。これからは もっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ」と答えた。

 以後、家族も ラリーの活動を知って 陰から支えることになった。

 1995年、地元では すっかり有名になっていたラリーは、匿名を条件に取材に応じた。
 カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、彼も家族も一切 表舞台に出ようとしなかったと話す。
 しかし報道されてから、シークレットサンタの正体への関心は さらに高くなった。

 一方 ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募っていった。
 そして 1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れた。
 その男性とは、シークレットサンタの生みの親だった。

 28年前の1971年、一文無しだったラリーが 落ちていた20ドルに救われた日のこと。
 本当の落とし主が現れたら困るので 逃げるように店を後にしたラリーは、我に返って真実に気づいた。
 20ドルは 落ちていたものとして、男性店員が彼にくれたものだったことに。

 男性店員は テッド・ホーンといい、当時のことを思い出した。
 ラリーは 彼がしてくれたことを、いつか誰かにしようと思ったのだと話した。
 そして、テッドの20ドルが なかったら 刑務所に入っていただろうと言う。

 自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、ラリーは テッドに 1万ドルの入った封筒を渡した。
 受け取れないというテッドに、ラリーは 自分が今あるのは あなたのおかげだと引かなかった。
 当時テッドは、警察に突き出すのではなく 自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って 20ドルを差し出した。
 それを ずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには 頭が下がると テッドは話している。

 テッドは ラリーから渡された1万ドルを、近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちの為に使ったという。
 人を思いやる気持ちは、健在だった。

 そして ラリーのサンタ活動は、全米に広がった。
 2001年には 世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、ホームレスや職を失った人を中心に 2万5千ドルを配った。
 2005年には ハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に 7万5千ドルを配り、27年間で配った総額は 150万ドル(約1億5千万円)になった。

 だが 2006年、シークレットサンタが ついにカメラの前に現れ、正体を明かした。
 彼は その年4月、食道ガンのため治療しなければ 1ヶ月生きられないと宣告されたのだ。
 正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け 身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを送りたかったからだろうと、マクガイヤー記者は話す。

 その反響は、大きかった。

 2日間で 7000通もの手紙やメールが、彼のもとに届いた。
 大半は、自分もシークレットサンタになりたいというものだった。

 その年のクリスマスも、彼は 病気を押してサンタの活動を行った。
 そのお陰で、多くの人が 笑顔でクリスマスを迎えられた。

 2007年の1月12日、ラリーは 58歳で 静かに この世を去った。

 それでも 彼の笑顔と優しさは 数えきれないほどの人の胸に、永遠のサンタとして刻み込まれただろう。

 生前 ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、会員資格は少なくとも 1回 他人への親切な行為を行うこと。

 今でも世界中から登録の申し込みが、後を絶たない。